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「これから始めるライフワークの見つけ方、磨き方」
品のある人生をめざそうとする人のために―人生を充実させる、一芸のススメ



<CONTEXT>
1.品のある人生を目指せ
2.ライフワークが自分を支える
3.幸せと生きがいの実感はライフワークにある
4.世代も組織も超える
5.人生の潤滑油としてのライフワーク
6.ライフワークとは、夢を実現する方法
7.全く違う時間を創り出せる
8.次から次にリストアップし、やってみよう
9.ライフワークを使って、毎日を新鮮に感じよう
10.時間の質がよくなる
11.好奇心・発想がリフレッシュされる

12.人間関係がうまくいくようになる
13.ものごとがテキパキとやれるようになる
14.一番やりたいことをやる
15.新しい自分が見つかる
16.積極的に年を重ねる
17.若者向けのことをやってみる
18.家族とのコミュニケーションに活かせ
19.本屋はライフワークテーマの宝庫
20.子供の頃にやりたかったことをやる
21.人のライフワークを参考にしてみ
22.地域コミュニティ、タウンウォッチングから始める
23.考える前に始めてしまおう


23.「考える前に始めてしまおう」

 何度も述べたように、ライフワークだからといって構えると、いつまでもスタートを切れない。とにかく見つけたら、始めてしまおう。自分の仕事のなかにも、生活のなかにもテーマを掲げ、それを継続的に行なおうと決めたら、すでにそのことはライフワークテーマの予備軍なのである。それを見逃さずに、きちんと実践し、記録を残していくとよい。

 ライフワークという考え方も、結局は形なのである。ライフワークという器をつくっておいて、そこに自分の本音を入れていくと、いつ知れず、熟して、形に実が伴ってくる。おもしろくなってくる。だから、「興味を抱いたことや気になったことをそのまま、そのときだけの気晴らしにせず、テーマとして掲げるようにしなさい」というのが、ライフワークのお勧めということなのだ。

 だから、見つけなければ、始めなければとやっきになることはない。自分がやっていることをライフワークのなかで捉えたり、継続的にプログラミングしていくようにすればよいのだ。ジョギングがライフワークの人もいれば、ショッピングもドライブもライフワークにしている人がいる。お茶を飲み、テレビをつける。お茶をライフワークにしている人も、必ず観るテレビ番組をテーマにしている人もいる。

 毎月、一本映画を観にいくとしたら、それを単に見て終わりでなく深めていくとよい。パンフレットや参考資料を集めていき、人と異なる見方を発見していこう。ボクシングが好きなら、そのテーマでファイルをつくってみよう。スクラップをしたり、選手の情報を集めると、試合が数倍におもしろくなる。「○○を10倍おもしろくみる方法」というフレーズのように、自分でその方法を編み出していくことがライフワークなのである。
 どうだろう。少しはライフワークのテーマが身近になってきただろうか。自分の今までの興味、関心の範囲を一通り、洗ってみるとよいだろう。



22.「地域コミュニティ、タウンウォッチングから始める」

 
私たちが必ず、興味をもつものは、自分の出生や生まれ育った街、そして、その歴史や名所史跡である。特に日本人というのは、歴史物が好きで、遠く世界中をまわり、現地の人が見向きもしない遺跡などを見にいくことで名をはせている。
 自分の家や住んでいる街というのは、興味深いテーマである。じっくりと歩いて気づいたことをメモする考現学をしてみよう。多くの人に聞き込みをするのも、おもしろい。探偵や冒険家に、誰もがすぐなれるのである。
 次には自分の両親や自分自身のルーツ探しである。話を聞き回るとおもしろいものである。小さいときの夏休みの宿題気分でやってみるとよい。

 仕事で外回りをしている人は、それを生かしてのタウンウォッチングも悪くない。ネオン、看板、店の名前、ドア、品名、値段、メニュー、店長などテーマはつきない。これはマーケティングの勉強にもなる。
 私は、関わりをもっている人の誰もにライフワークを勧めている。そう大げさに考えなくてもよいから、興味をもっていることについての情報をコツコツと何年も集めていくとよいというわけだ。これが最大の自己啓発の方法ではないかと思っている。

 自分の住んでいる地域にある図書館や資料館にいくと必ず、古い地図やその地区の歴史資料がおいてある。こういうものをうまく整理していくといろいろなことがわかっておもしろい。自分の通っていた学校や勤めている会社の歴史も一大テーマとなる。公民館や市民センターなどにも顔を出してみよう。いろいろな催しものをやっているはずだ。週末だけしか時間がとれない人でも安く楽しめる。

 最近は、創作活動の場としても、多くの地域でコミュニティのため施設が開放されているので、そういうところを利用するとよい。サークルも随分とあるだろう。
 美術館や劇場も、単に催しもののみでなく、啓発的な活動に力を入れてきている。放送局や役所、水道局、ガス会社、NTTといったところにも、おもしろいテーマが満ちている。



21.「人のライフワークを参考にしてみる」

 ライフワークのテーマをいくつ挙げても,それを始めなくては意味がない。始めるためには「よーし、やるぞ」という気持ちが必要である。しかし、なかにはしぜんとライフワークとして行なうテーマになってしまったというものもある。人からの紹介であったり、先輩につれていかれたところに、ライフワークテーマが芽ばえることも少なくない。気づかぬうちに好きになっていたというテーマも、大いに歓迎すべきことなのだろう。

 人の勧めには乗ってみることだ。そこで単にその場で終わったとしても、その人のおかげで少しでも、仕事とは別の体験ができたらよいと考えることだ。カルチャーとして行なうか、ライフワークといえるところまで深めるかに関わらず、他人から勧められたものは、自分の気持ち、思い入れをしっかりと保って接しているか自問してみるのも大切だ。

 また、他の人のライフワークを聞いてみて、参考にしてみるとよい。意外な人が意外な分野でライフワークのテーマをもっていることがわかると、興味深いだけでなく、その人を見る眼も変わる。。
 ライフワークを考えるにあたっては頭だけで考えずにいろいろと人に会ったり、体、手足を動かして体験をすることが大切だ。好き嫌いというのも、やっているうちにわかってくるのだと思えばよい。案外と本当に一生続けられるライフワークというものは、最初はとっつきにくく、やっているうちに体になじんでくるものという場合が少なくないのである。

 ライフワークを定めていくにあたり、ライフワークテーマそのものの研究をすることをお勧めする。周辺の人のライフワークを考えてみる。さらに尊敬している上司や、心の師としている人のライフワークを挙げてみるとよいだろう。古今東西、いろいろな人のライフワークとその由来、取り組み方を調べていくと、とてもおもしろいし、自分のライフワークを考えていくためにも、いろいろとためになる。



20.「子供の頃にやりたかったことをやる」

 最近、ラジコンが流行しているらしい。子供のためといいながら、本当は自分が楽しむために買い求める大人が少なくないのだろう。これは、少年時代のときの“大好き”の名残である。
 先日、あるフォーラムで二足わらじのはき方のシンポジウムがあった。そこで出てきたテーマの多くは、彼らが小さな頃にやっていたことであった。昔とったきねづかというが、それを再開することは確かにライフワークを勧めていく上でのよい方法であろう。
 一からやるよりは、ある時期にやっていたことの方がよい。なぜならそのときには、やっていることの意味が頭ではわからないなりにも、イメージが形成されているからだ。このイメージが年月を経ても心の奥底に残されていたものであり、人間の心を打つのである。新しいことを始めるよりも長続きしやすいと思われる。
 ここでは自分の半生を振り返り、小さな頃にやったこと、好きだったことを一覧にしてみよう。多くの人の場合、続けてやりたかったのに、学校に入ったり社会人になったりしたときに重要でないと思って、きっぱりとやめてしまったことがたくさんあるに違いない。これは、本当にもったいないことである。



19.「本屋はライフワークテーマの宝庫」


 
ライフワークテーマを見つけるのに最も手早い方法は、書店にいくことである。図書館や古本屋でもよい。できるだけ大きな書店に何万円も持っていって、片っぱしから興味のもてるもの、長くつきあっていきたいと思ったものの分野の本を買ってくるとよい。ビジネス書や実用書よりも、趣味や教養のための本がよい。
 本というのは、その著者のライフワークの成果物だと思ってもよい。つまり、本のタイトルやジャンル、イコール、ライフワークテーマなのである。そう考えると世の中には書店だけみても、あまりに多くのライフワークテーマにあふれていることがわかる。

 企業のなかにも多くのテーマはある。いかんせん自分が必要性を感じ、時流をつかんで、深めていける方向に向けていくことだろう。ライフワークは純粋に個人的関心の上に設定したい。
 立派なものをなどと考えるとなかなか、よいライフワークテーマが定まらない。簡単にいうなら、これから毎日、そのジャンルの本を読んでも苦にならないというようなものがよいのではないだろうか。テーマに行きづまったときは、出してもよいかどうかなど考えず、ともかく、判断せずに数を出してみることだ。そのときにわざと逆にライフワークにしたくないものを出していくのも一つの方法だと思う。

 書店で、手掛かりを得たら、今度は興味のある場所へ飛んでみよう。映画、美術館などもよい。世界一流の文化作品のなかにも、さまざまなヒントが含まれている。
 お勧めしたいのは、東急ハンズや西武ロフトなど雑貨がたくさん置いてあるところである。店内を一周すると、どこのカルチャー教室よりも多くのテーマがある。もちろんカルチャー教室のテーマも参考にするとよいだろう。



18.「家族とのコミュニケーションに活かせ」


 
ライフワークと家族サービスとの両立ということであれば、これもさして難しいことではない。なぜなら、家族サービスをサービスとして捉えるからいけないのである。

 滅私奉家のサービスをして、それを皆に楽しんでもらえるのは、せいぜい子供が小学校の低学年までだからだ。サービスでなく自分の好きなことを本心から楽しんでやってみる。本人がおもしろいと興じていることに対し、家族がどうしてそんなにおもしろいのかと乗ってくれば、そのライフワークは家族公認となり、場合によっては、共に楽しめるものとなる。

 多くの場合、ライフワークは、本人だけの楽しみとなってしまっているようだが、それは家族に理解させるための努力をしていないからである。わかってもらうためには、生半可なレベルではだめで、それ相当のうんちくと姿勢が必要である。

 だからといって諦めないで欲しい。ライフワークとは、誰よりもライフを共有している家族と切り離せないものである。一人で行動しても、その話を必ず皆に聞いてもらうとよい。皆がまたかと思っても、諦めず、おもしろおかしく聞かせてやるのだ。
 仕事の話よりもよほどよいと思う。家族にはわからないものだと思わず、仮にそういうテーマのものであっても、あなたなりに誰にもわかるものに変えていけばよい、ということだ。そのことによって、あなたのライフワークはさらに価値を高めるだろう。



17.「若者向けのことをやってみる」

 ある方にライフワークのテーマは、と聞いたところ、お茶、お花、俳句、カラオケ、盆栽、近く詩吟も始めるという答えが返ってきた。大いに結構、でも何となく大変だなという気がした。ライフワークのなかに習い事、お稽古事が入るのは、当然である。師がいて、そこからいろいろなことを学ぶのは典型的なライフワークスタイルである。

 しかし、もう少し、おおらかにやってみるとよい。若者は遊んでばかりにみえて、毎日、後々のライフワークにつながりそうな活動に興じているのである。本人たちは気づいていないが、時流に合ったテーマも多い。しかし、継続性ということでライフワークにつながらず、受動的ということで、今一歩、ライフワーク創出にいたっていない。遊びと自己啓発を分けているのがよくない。私は、この二つは同時にやればよいといつも言っている。

 テーマは情報誌などで見つけたり、カルチャースクールや通信教育の案内とともに参考にしてみるとよい。また、二十代向けの雑誌からテーマをみつけるというのは、是非とも試みて欲しい。ライフワークだからこそ、思い切って若返りのテーマをやるといいのだ。若者や子供が話を聴きたがるようなテーマがよい。

 自分の子供にピアノを習わせたときに一緒に始めた人もいた。絵を習わせたときに必ず、同じテーマで筆をとってみるお父さんもいる。これは子供とのコミュニケーションに最高であろう。年相応のライフワークというのもあるが、一つくらい、まわりの人がびっくりするほど若いテーマを絞り込んでみてはどうだろう。私の知っている著名人の方々のテーマをいくつか挙げておこう。皆、五十代を過ぎている方々である。しかもある程度の年になってから始めている。あなたにもできないはずがない。

 フラメンコダンス フラダンス スキューバーダイビング ジャズダンス トライアスロン ロックバンド etc...



16.「積極的に年を重ねる」

 
老いというと、言葉が悪いが、誰もが生まれたときから老いを生きているわけである。老いてからしかできぬこと、老いてこそできることを見つけ、それに打ち込める人は幸せである。いつまでもそのことによって若さを保ち得て、老いゆくことがないからである。老醜とは逆の、老いてさわやか、あっぱれの世界をもちたいものだ。

 私はときおり、パーティなどで相当、年配の方の唄を聞く機会に遇することがある。そのときに、唄のプロとは違っても、人間のプロ、生き様のプロ、年を齢いを重ねてこその表現力だと妙に聞き惚れてしまうことがある。やっていることに対する思い入れが高じて抑まり、しぜん体で心が現れるのか、年をとってくるとやっていることが、趣味ではなく、生きざまとなってくるようだ。その人にぴったりとフィットしてくる。こういう例をいくつも私は見てきた。

 どんなにお年寄りでもライフワークを確立している人の生きることに対する前向きの姿勢は、本当に頭の下がる思いがする。私も、そのように生きたいものだと素直に思う。同じ歌を歌っても、背負ってきたものから現れるものが違う、それが時間をかけて、深めてきた芸であれば、もはや誰も立ち入れないその人の世界が、そこに現れ出る。

 ここでは、年代別にやりたいこと挑戦したいことを、紙に書いてみよう。そのことによって、少しずつ、実行への用意が整っていくのである。今、日本人の平均寿命は八十才を超えている。まだまだ第二、第三の人生が待ち構えてくれている。参考として、自分の尊敬する人や身近な人の例も年代別に記入してみるとよいだろう。ついでに言っておくと、年のおかげできることは増えていくと考えるのが本当なのに、日本人はできないことをなぜか年のせいにしすぎると思う。それは少し哀しいことではないか。



15.「新しい自分が見つかる」

 
私は「人脈づくりハンドブック」という本のなかに、勉強会のリストを掲げ、自分にピンと来たら、訪ねてみたらよいと、ビジネスマンに対して自分探しと自分づくりを勧めた。いろいろなテーマがあり、そのなかで自分が何を選ぶか、そして、どう接するか、おもしろいと思うか、続けられるか、結局どれが自分にどう大切なのか、どのように人とめぐり会い親しくなるのか…これらの一連の行動と心の動きのなかから、自分というものが客観的にみえてくると思ったからだ。

 大体、私たちは早くから自分というのはこういう人間だと自ら決めつけ、そしてそのように生きてきているのではないか。特に社会の規範が求めるようにうまく順応しているエリートの人には、一つの役柄を全うしようとするあまり、自分の他の面の可能性を全く押し込めている人も少なくないように見受けられる。つきあう相手によって、自分という役割の演じ方は誰でも違うであろう。

 ライフワークに対しては、思いっきり、ハメをはずしてみればよい。職場で決めつけられたイメージを打破して、全く違った自分を演出してみることだ。できたら、ひょうきんでおっとりものでミスが多く、のんきで、人のめんどうみがよくて、すけべで恥知らずなんていう像はどうだろう。いい年してなどと思うから、年をとるのだ。どの分野でも最前線で活躍している人は皆、若々しい顔にバイタリティをあふれさせている。全く違う自分の像をつくって演じてみる。すると、そこで変わるもの、変わらないものがはっきりとしてくる。

 新しい自分に出会えることこそ、成長している証拠である。古い自分を守るのはたやすい。しかし、これを老いというのではないか。ここにライフワークとして演じていきたい自分のふまじめ像と理想像を描いてみよう。そう、ライフワークのテーマとは、要は、自分なのだから。



14.「一番やりたいことをやる」

 ライフワークの見つけ方としては、すべての制約をとり払って、一番やりたいことをやるというのが、正道である。
 よく「やりたいことがなくて…」と、こぼしている人がいるが、自分の性格をしっかりとチェックしてみると、意外と身近にライフワークテーマは、ころがっているものだ。
 ただ、それがライフワークのテーマになると本人が気づいていない場合が多い。「こんなものがライフワークになるのだろうか」とか「これじゃ、周りに言えないな」などという偏見は捨てることだ。ライフワークのテーマは、きっかけにすぎない。それにどう関わり、発展させていくかというその人の力こそ問われるのだから、何でもよい。

 まず、今、自分が一番やりたいと思っていることにとことんこだわって欲しい。人の目に格好よいとか悪いとか、それによって何が得られるかなどは考えないことだ。つまり、そのことを考えるだけでワクワクするとかイキイキするということを選べばよいのである。一番やりたいことがなんだろうと考えて、多くの人があげるのは、いかにもライフワークのテーマに似つかわしそうなものばかりである。いわゆる習い事、お稽古事、資格習得、そういったものが並ぶ。自己啓発めいたもの、実利目的みえみえのものばかりで、これではおよそ、人に仕事の上にさらに負担をしょいこむことになる。

 タテマエ社会に生きてきた障害がこんなところに出る。何も履歴書の趣味欄に記入するためでも、人前でのあいさつに誇らしげに発表するためにライフワークをもつのではないのだ。
 「昼寝、ゴロ寝」「ナイターの巨人戦」「枝豆と生ビール」そうそう、その調子でよい。クイズ番組、こぶ茶、天ぷらそば…土いじり、散歩、スイミング…どんどん出していくことだ。そして、そのなかから、ライフワークとしてつきつめていきたいことを自分で選択していけばよい。



13.「ものごとがテキパキとやれるようになる」

 
仕事をきっかけにライフワークに目ざめた人は、それに凝ったために仕事ができなくなるということではなく、逆に仕事を以前よりも早く片づけられるようになるようだ。これは恋にも似て、好きなことのために、時間もお金も無理をしてしまうが、そのために、なるほど、時間もお金もなんとでもなるものだということを知ることができる。自分でここまでと思っていた限界を、知らずと打ち破ることになる。生活を壊すことによって、一つ大きく創り上げていくわけである。人間のパワーというのは、自分で考えているよりもはるかに大きいものであるようだ。

 好きなことをしようとすると、まず、やるべきことはさっさと終えて、会社を出る習慣がつく。メシを食うのもフロに入るのも早くなって、少しでも好きなものに接していようと体は動く。あげくの果て、起きるのまで早くなってしまって、がんばってしまう。仕事がうまくできないと好きなことができないからと、日中の仕事もがんばる。恋におちるというのは、相手の思いや相性もあり、思うままにならず、結局、うまくいかなかったとか、相手に合わせるために仕事も生活も疎かになってということがあるが、ライフワークは自分一人で決めていけるだけに他に迷惑はかけなくて済む。

 私に三人の後輩がいた。一人はカメラ、一人は文学、一人はコンピュータのゲームが好きだった。私は就職してから、そういう趣味を投げ出していると聞き、もったいないと思い、趣味でなくライフワークとなるところまで、こだわってやり続けたらどうかとアドバイスした。次の日から三人は、機材や資料を自分のデスクの上においた。研究の仕事が行き詰まると、そういったものに触れ、ニヤニヤしている。しかし、間もなく、仕事に戻る。

 結局、だらだらした行動が大幅に減り、仕事の早さと質が目にみえてよくなった。これは、単にお守りのように触ったから効果があらわれたわけではない。触ったときに、こんなところで遠慮がちに触るよりも早く仕事を終わらせて、思う存分遊ぼうと頭が切り換わったのだ。
 彼らは、仕事の上にもそれぞれの趣味であったことをライフワークとして活かし、今やプロの仕事として、これらのライフワークのテーマとしたものを使っている。遠慮がちにデスクの上にもってきたものが、今や仕事の必需品として周りが認めるものになっていったのである。




12.「人間関係がうまくいくようになる」

 ライフワークをもったおかげで、人間が変わったといわれるようになった人を私も何人か知っている。まわりの人から変わったといわれてこそ、本物である。多くの場合、明るく社会的になる。何か一つ、自分のカラがむけたようになり、誰とでも気楽に話しができるようになる。
 特にお偉いさんのなかにこういう人が多い。話を伺うと、最初は慣れぬことに手を出して、散々な目に会ったり、恥をかき通しだったという。そんなことを話すということは、それが楽しかったということなのだ。
 仕事のなかでは、失敗は、そうそう許されない。だから、若いときに恥をかきそびれると、どうしても優等生となって、はた目を気にせず失敗をものともせず挑戦するなどということがなかなかできなくなる。こうなると、人間も哀愁が漂ってくる。

 ところが、ライフワークにおいては、嫌ならやめればよいし、生計に影響してくるわけではないから、思いきった冒険ができる。つまり、新入社員の頃、あるいは子供の心にまで戻れるのである。皆がそういう心持ちで集まると、人間的にもうまく交流できることが多い。だから、とても気持ちがよい。一生の友は、若いときにしかできぬなどと考えないことだ。若いときに友ができるのは、共に苦労したり恥をかくからだ。ライフワークをもち、そこで自らが初心、新鮮な気持ちで人に接すれば、いつでも楽しい人間関係が開かれていくのではないだろうか。

 ライフワークの仲間うちの世界は、横社会である。上も下もない。おたがい○○さんづけ、あるいは、ちゃんづけをしてもよいではないか。こういう仕事外のネットワークや人間関係が、仕事に生きる。なにもビジネス上に直接的な利益があるということではない。なかには、そういう場で知り合った人から仕事がきたという人もいるが、それを目的にするのは筋違いというものだろう。
 何よりも精神的に余裕がもてるということである。ライフワーク仲間とつきあうときは、仕事のぐちをしゃべるわけにもいかないし、機嫌の悪いのをぶつけるわけにもいかない。相談するにもおたがいの立場を尊重して紳士的にもちかけるから、よいアドバイスをもらえるときが多い。家庭なら甘えてしまう人でも、こういうところでは自分を制することになる。

 そして、ライフワークを楽しむなかで会社で起こった嫌なことなども流してしまうから翌朝、勤務したときにも、マイペースに仕事に入れる。こういう人は、部下からも信用され、上司からも目をかけられる。
 人間関係に悩むような人は、私は特にボランティア的色彩の強いライフワークを加えることを提唱したい。特に、俺がなんでここまでしなくてはいけないのかということを続けてしていくとよい。心が洗われてきて、その心地よさにきっと、あなたの心のなかで何か大切なものが目醒めるだろう。



11.「好奇心・発想がリフレッシュされる」

 これからのビジネスマンに問われる力というのは、発想力と、アイデアを現実におとし込んできた企画を通す力である。
 社内のデスクだけでものごとを考えていても、発想は拡がらないし、アイデアも出てこない。私は多くのプランナーやマスメディアの方とつきあっているが、彼らの発想力にはいつも驚かされる。
 それを商売にするのは、経営者であり、私はその間に入って発想を企画にするわけであるが、すると、世の中の二、三歩先の発想を、現実の社会のなかにどのようにおとし込むかということを常に考えることとなる。そのときに発想がどこから出てくるかをつきつめると、思いつきがアイデアとして、しっかりとプランニングのなかに組み込めるのである。

 彼らの発想は、いわば、手足を使ったところから得られる現場の情報をコーディネイトしたものなのである。つまり、世の中を実際の目で見て、鼻でかいでいるから、何か新しい発想かがわかるのである。現場を歩くのは、ただ新しいものに気づくためではない。どちらかというと変化に気づくためである。そのために多くの場所で体験を積むのだ。
 よく、ビジネスマンに新しいアイデアだとか、こんなことを知っているかと聞かれるときがあるが、その多くは数カ月前には私の耳に入っている。発想もこんなことを思いついたといわれたときに私の頭の中では、すでにいくつかの事例が浮かび、どこで行なわれているとか、誰が考えているとかをアドバイスするわけである。そこから、話が始まる。

 つまり、発想力を磨くなどといって、いくら社内で研修したり、技法を使って学ぼうなどということでは、だめなのである。すでに世の中がどういう状態であるのかを一通り知っていて、初めて、発想たるゆえん、その発想ががどの程度のものなのかなどがわかるのだ。
 そこで、ライフワークの登場である。なぜなら、私に入ってくる情報の半分以上は、私のさまざまなライフワークの活動を通じて入ってくることからだ。。そのため、少しでもテーマを広め、深めて、常に何を私がやっているかを情報として発信するようにしている。好奇心を抱いたものは全てテーマとしている。新しいテーマに挑戦するたびに、新鮮な喜びを覚えるからである。そして、それがほどよい心身から頭のリフレッシュとなり、仕事の上にも、よい影響をもたらしているといえる。



10.「時間の質がよくなる」

 私は今、ようやくライフワークを中心にスケジュールしていく人生に切り換えたところである。黙っていたら、ここ数年どんどんと忙しくなって、スケジュールに追われる毎日となった。スケジュールの埋まらなかった頃の苦しさを知っているので、全てを受けていたが、逆にそれが仕事の質にも悪い影響を与え始めることに気づき、思いきって会社をつくり一人でなく組織で動くようにした。すると、今度はマネジメントに時間がとられる。なるほど、会社というのは、時間の質のシステム化だったのだとわかったしだいである。
 どちらにしても、時間がとられるなら、そのなかで全てをライフワーク化していこうと考えたのだ。
 自分でしかできぬこと、あるいは自分流にやりとげることが仕事だとしたところで、仕事とライフワークが一致してきたしだいである。

 そこでライフワークを広げて、仕事のなかだけではできないこと、仕事では、味わえないことを求めることにした。そして、仕事の忙しさと全く関係なく、どんどんスケジュールに入れることにした。
 すると、どうなったかというと、仕事がライフワークに追随するようになったのである。今、私は、月に一回必ず関西へ行く。九州や北海道もよく行く。すると、はためには大変だと思われるが、逆に仕事が早く片づくのである。

 なぜなら、移動時間に仕事をせざるをえなくなってしまうからだ。依然は週刊誌でも読んで時間をつぶすのに疲れ、家に帰るとぐったりしていた。ところが、今は、関西なら往復六時間、誰にも邪魔されずに仕事ができる。しかも、三時間で一区切りつけなくてはいけないから、早くあがる。デスクにすわっていて指示したり、電話をとることから比べると、この三時間で一日分の仕事をやれるようになったといっても過言ではない。

 そして、日中は好きに過ごして、気分転換、頭の疲れはすっかりとれてしまう。夜に三時間まとめたら、三日分の仕事が一日でできる。これは、人間のリズムやノリを最大限生かしているからである。
 楽しいことを中心において、その前後に仕事をもってくる。そして、一日にいくつものことをやったという充実感が、とてもよい眠りと明日への活力をもたらしてくれるわけである。時間の質がよくなると気分もよくなる。以前は考えもしなかったことが少しずつできるようになってきたのである




9.「ライフワークを使って、毎日を新鮮に感じよう」

 
仕事も長年、続けてくるとどこかにマンネリがくる。昔、苦労してやっていたことも手慣れてやれるようになると、そこでとどまってしまう人が多い。
 これは、会社自体が、その人にそれ以上の能力を期待しつつも、現実にそれを発揮させられる場を与えられずにいるからだが、本人もそれに安住してしまっているところもよくない。仕事を会社の仕事から、自分の仕事へ切り換えていかなくては、あなたはどんなに有能で偉くとも、会社の歯車として終わってしまう。
 自分の仕事とは即ち、ライフワークの設計に基づいたところから、自分で位置づけた仕事のことである。仕事においてもたらされる人脈、能力、お金をどうライフワークに再投資しようかと考え、そこで仕事のなかで可能な限り、人脈、能力づくりに励むのである。

 それともう一つ、ライフワークのために仕事をするという人生観、仕事観をもつことをお勧めしたい。仕事を終えたら、こんなに楽しいことができるというように、ごほうびとして、ライフワークを位置づけるのである。
 仕事がうまく進まないときには、ライフワークの時間を多めにとって、それに打ち込むことからリズムや調子をとり戻すとよいと思う。

 私の知り合いに、仕事がマンネリ化したら、夜中にすぐにバイクで海に出かけ、貸し船に乗って魚を釣るという人がいる。疲れていても、目を閉じたら事故に合うのだから、精神が張りつめてくる。彼はバイクというのは気合いを入れるのによいという。荒々しい日本海に竿を振る彼の気持ちがわかる。
 もう一人の知り合いは、トランペットを家の近くの裏山で吹くという。そんなこと続けてどうなるのかと思ったら、つい最近、出版記念のパーティで、演奏し、皆に賞賛されたもので、さらにやみつきになったらしい。本を出したことより、嬉しかったといっていた。
 仕事のなかで前向きに積極的なリズムがあるときには疲労回復に、逆に不調のときには気分転換と、気力を高めるためにライフワークを利用してみたらいかがだろう。



8.「次から次にリストアップし、やってみよう」

 どうだろう。これから一ヵ月間、「ライフワークと私を求める期間」として、自分の好きなこと、やりたいことをどんどんリストアップして一覧にしてみて欲しい。すでにライフワークをもって、それにいそしんでいる人もやってみるとよい。

 新聞も、広告欄まで目を通せば、一紙から、五つでも十でも抜き出せるだろう。雑誌の著名人やタレント取材のなかにも、よいテーマがある。街に出たら、もうライフワーク情報の山である。一〇〇メートル歩くごとに何個ものテーマがみつかるだろう。自分に似つかわしいとかどうかなどは考えず、少しでも自分が興味を感じたものを全てリストアップしてみるとよい。

 これについて、もっと知りたいとか、考えてみたいという程度の基準でよい。社会人学科の卒論のようなものだと思い、テーマは自在に設けたい。できそうもないくらいのものが丁度よいだろう。
 日頃から考えたかったこと、自分が興味をひかれる本、自分の書棚などをみれば大体、どんなことにテーマがあるかはわかるはずである。

 どうだろう。少なくとも五十個、できたら百個くらいあげてみて、常に三十個は頭の中においておくようにしてみよう。そのくらい欲張ってもよいではないか。電話、ペン、靴、ネクタイ、そんなものも興味関心があり、深めていけるならば、立派に一つのテーマになるはずだ。リストアップしたテーマは、いくつかのグループに分類してみるとよい。七つくらいにまとまるとわかりやすい。




7.「全く違う時間を創り出せる」


 
神が人間に平等に与えたもうたものとして、一日二十四時間という時間のことがよく述べられているが、本当は、これほど不公平に与えられたものはないだろう。第一に皆、寿命が違う。
 一生の時間で考えても、必ずしも長く生きた人が若く死んだ人よりも多くのことを成していないことからも、時間の長さというのは、そのままでは人生にとっての価値には、ならないことがわかるだろう。

 時は金なりというが、時間をうまく使うのには錬金術にも似たマジックを必要とするようだ。それを身につけなければ、一日はいつまでも時計の上での二十四時間、実質のところ、生きている気のするのは二、三時間もないという人も少なくない。逆に一日を二十時間以上にも活かしている人もいる。一日で十倍の違いが出る。一生の物理的長さも違えば、一日の質的な長さも違うものがどうして平等といえようか。

 ライフワークを人生の中軸においた方がよいという理由の一つは、ライフワークをもつことによって、時間が減るのではなく増えるからである。質的にばかりか量的にも、時間は増えていくように思う。もちろん、仕事をたくさん兼用していくのも、時間を増やす手段としては有効である。四つの会社をもっていて、朝九時までに一つ、午前中に一つ、夕方までに一つ、夜に一つ、動かしている社長さんを知っているが、これもその社長にとっては四つのライフワークだからできることだ。

 サラリーマンの場合は、仕事に対して、そこまでの権限がない。だから、別に自分中心に全てを決めていけるライフワークを設け、その権限をもつとよいのである。
 人というのは、エネルギーを出せば出すほどもっと出せるようになってくる。これがロボットなどとは違い、しぜんの生み出した素晴らしいシステムなのだ。ところが、これを自ら、ワクをつくって閉ざしている人が少なくないように思える。

 そもそも、ライフワークをすることは、仕事とは頭や体の使い方が全く違うのであるから、仕事にもよい効果を与えるし、一つの人生を二つに生かせることなのである。いや、二つなどと考えるから難しいような気がするのであって、表裏だと思えばよいだろう。
 人生に三面でも四面でも複数の面をもたして、生きること、それが時間を何倍にしていくことになる。いろいろな役割を演じ、さまざまな人生を経ることになる。

 映画を観ることも多くの人生を味わえる。さらにそれを研究し批評できるようになれば、いくつかの映画からいろいろな関連や気づきが生まれる。さらに一本の映画を自分でつくっていけば…そこで、人生の時間を失っていくのではない。失われていく時間を止め、そして、現出させたのである。つまり、人生の時間が増えているといってもよいのではないだろうか。




6.「ライフワークとは、夢を実現する方法」

 
ライフワークとは何のためにあるのかというと、自分の本当の夢を実現するためである。本当の、とは本心、本音のことだ。仕事も生活も、それが必ずしも自分の夢と一致しているものではないことは、多くの人が感じているようだ。先刻ご承知のことであろう。自分で選びとってはいても、これはどちらかというと、生計を立てるために選ばされたもの、あるいは与えられたものという場合が多いからだ。現にやめるわけにはいかないということ自体は、自由に選択されたものとはいえないだろう。

 ライフワークとは、それ自体やめてしまっても、仕事にも生活にもさしあたって影響はないのにやめられないものを示すとみてもよいだろう。たとえそれが生計の糧になっていようと、自分がやることに満足を覚え、それを続けることで何かを得ている感じがするもの、この何かとは生きがいや充実感に結びつくものである。そしてこの点に大きな価値を認めていることである。
 ライフワークのテーマそのものによし悪しはない。ライフワークとは、自分の心がそれに対して、どのように関わっていくかというところで問うべきものなのである。

 だから、どんなテーマでもよい。石を拾うことでも円周率を覚えることでもよい。私はそういうことをやっている人を知っているが、そのなかで得られることは尽きない。ストーンハンティング、円周率四万桁の暗記、そう言われるようになって、はじめて、無意味なところに、人間が生命を吹き込み大きな意味が生ずるようになってくる。

 ライフワークとは、自分の内なる心に対して満足を与える行為である。だから、自分の心に夢が生まれてくる。そこが素晴らしいのである。自分にしかできないこと、あるいは自分の心のみがそのように感じることを長く続けていく、ライフワークとは、即ち枕もとではなく現実に見ることのできる夢を実現していくことなのである。




5.「人生の潤滑油としてのライフワーク」

 今まで述べてきたことをまとめてみると、ライフワークとは、人生をよりよく過ごすため、あるいは人生を創り上げていくために必要欠かざるものであるといえる。
 人生も半ばにさしかかると、つらいことが体の状態に出てくるものである。体だけでなく気力の面でも衰えを自覚してくる頃だけに、身にこたえよう。その大半の根本的な原因は自分の人生観、ひいてはライフワークがはっきりとしていないためだとさえ言ってよいと思う。だから、だめなのではなく、だからこそ、こういう機にライフワークを確立しておこうと動きだすべきだと思う。

 ここでは、仕事のためにもライフワークを、と述べてきたがあまり、何かのためにと考えないのがよいだろう。しかし、何であれものごとを始め、それをつづけると、それが他のことの邪魔になると思いがちだ。それよりも、トータルとしては他のことにもプラスになることははっきりさせておいた方がよいと思ったからだ。

 ライフワークというのは、やるとかやらないという次元の問題ではないように思う。もともと自由を得た人間として生きていくのであれば、自らどんなに苦しんでも、それを打ち立てていかなくてはいけないはずのものである。
 ただ、難しく考えなくとも、あえて苦しみを求めなくともよいだろう。たとえライフワークがいくつあっても、それによって、デメリットになることは極めて少ないと思うので、大いに活発にやり始めることをお勧めしたい。

 いろいろなことの起こるであろう人生において、もしその潤滑油の役割をするものがあるとしたら、それは外には友人や家族であり、自己の内ではライフワークであるはずだ。 私自身は、すべてを自らのライフワークと関連づけて、生きようとしている。そうすると、自分のどのような行動にも無駄や無意味なことがなくなってくる。そういう気がするから何よりも気が充満する。パワフルに生きていても疲れにくくなる。これがよい。
 人生の潤滑油がライフワークだというよりも、ライフワークが人生であり、ライフワークの織りなすのが人生模様といったところではないだろうか。




4.「世代も組織も超える」

 会社とはまぎれもなく肩書き社会である。それゆえ、平等の人間社会にあって、なおかつ身分制(年功序列、学歴といった面では弱くなりつつあるが…)というタテの関係というものが維持されている。これによって組織として営利活動に敏速な動きがとれるのである。しかし、これからの組織は、ヨコのネットワークが主流となっていくだろう。

 これを私はビジネスのライフワーク化と捉えている。かつて拙書「自分づくりの勉強会」(にっかん書房「日刊工業新聞社」)で私は130の勉強会のリストとそのネットワークについて考察し、これからのビジネス社会の展望とその根流をそこにみた。勉強会においては、世代も肩書きも必要ない。その人の個人的な魅力が唯一の肩書きである。(むろん、全ての勉強会がその段階までいっているとはいえないが…)

 すると、顔がよい、魅力的だといった品格のようなものが効いてくる。パーティでは会話が中心となり、マナー、教養が問われる。どんな人にも話を合わせられる広く深い人生観が求められるわけだ。つまり、そこでのテーマは個々のライフワークになるのである。
 ライフワークというものは、年代や所属している組織はさほど関係ない。個人として、何をテーマにしようと、自由であり、何の拘束も受けないからだ。このライフワークをつきつめていくと、他の世代の人との交流も開けてくるようだ。

 同じ趣味のもとに集まる仲間というのは、会社も住んでいるところも、生活もそれぞれ違うから、よいともいえるのである。
 人との交流をもたないライフワークの場合であっても同じである。ライフワークから得られた体験、考え方が世代や組織の壁をくずしていく。というのも、もともと人間のなかにそんな壁があるのではなく、学校に行ったり、会社に勤めている間にできたものだから、その意識が壊れるのである。

 私はよく著名な方や専門分野で名を知られている方と話す場をいただく。もちろん、その人の専門については、ど素人のことが多く、まともな質問さえできない。しかし、ライフワークという観点から、その仕事や研究を評価すると、どんな方も才能面で天才的なところを発揮しているベースは私にも理解できる範囲であることがわかってきた。ライフワークからみると同じ人間、同じ人生を生きるところに共通する見解が多く出てくるのである。
 ライフワークは、世代や組織のみならず、能力差をも超えるといえる。




3.「幸せと生きがいの実感はライフワークにある」

 仕事は完成、そして成功を目ざすが、人生は、プロセスでの充実感、生きがいと幸福感を目ざすものといえよう。人生に完成や成功という言葉はあまりに表面的であろう。充実感や生きがい、幸福感は、ものごとをやり遂げていくプロセス(過程)に現れる。

 仕事は仕事として楽しいものだが、そこから幸せや生きがいを求めるのは、最近ではとても難しくなってきている。そこでは幸せや生きがいという言葉のみが自分の実感を離れて職場を日本人の所得が世界一だというのと同じく幻想である。一人歩きしているからである。これは、ライフワーク全般から考えなくては解決不能である。

 幸せとは、居心地のよいことであり、生きがいとは新鮮で感動のあることである。居心地のよさは、過去からの積み重ねで得られるものであり、生きがいは、常に前向きに挑戦することによって、感じられるものである。
 この二つを共に得ようとするから、人生は難しいのであろう。保守と革新を同居させようとするようなものだ。

 しかし、ライフワークは、過去の実績の上に未来を切り拓いていくものである。つまり、ライフワークそのもののあり方自体が居心地のよさの上での生きがいを保証してくれているといえなくもない。
 ならば、仕事やビジネスであっても、うまくライフワーク化していくことも大切である。その上にさらに誰も曲げることのできない強固な意志に支えられたライフワークで、一本、人生の筋を通すとよい。
 それはきっとあなたに幸せと生きがいを同時に実感させてくれるものとなるに違いない。




2.「ライフワークが自分を支える」


 
「ライフワークなど、今はとてもとても・・・。仕事で手一杯、定年で仕事がなくなって、暇になったらやります」
 こういうサラリーマンは、依然として多い。しかし、明日死ぬかもしれぬのが人の身、今、やらずにいつやるといいたい。今やれない人は、いつまでもやれないといってよい。
 会社で嫌なことがあったり、仕事に行き詰まったときに、居酒屋で上司の悪口を言って、溜飲をさげるようなことも、二十年やったら、卒業するべきである。その酒代と時間があれば、ライフワークの基本は充分に確立できる。

 逆境におかれたとき、会社人間は支えを失い、まわりや家族にあたったり、仕事に熱を失ってしまうことになりがちだ。しかし、ライフワークのある人は、ライフワークに支えられる熱中すべきものをもち、その世界を確立していると、悪循環を時間的にも空間的にも切ることができる。つまりライフワークの世界のなかに身をおくことにより、頭の中の悪い意識を一掃し、リフレッシュさせられるのだ。

 三日三晩、苦しんで悩み抜かなくても、仕事のことなのだからと割り切ることで対処し、結果的にうまく納めることができる。ここで、自分では気づかなくとも高度な感情のコントロールをしていることになる。
 私の友人のなかでも、会社人間は少ないが、彼らがあるとき一皮むけて魅力的になることがある。そのときに共通する条件がいくつかあるようだ。それは次の段階を経る。

 まず、今までやっていた仕事って何だったのか、会社のためにやっていたことの見返りは何なのか、という怒りの段階、そして、結局仕事は生きがい全てを充足するものでも、人生の中心でもなく、会社も自分のためにあるものではないという諦念の段階、しかし、仕事も会社も自分を育ててくれたし、いろいろなものを与えてくれた、自分の求める方向が違っていたのだと悟りの段階である。こうなると後は早い。多くの場合は、そこで素晴らしいライフワークを見つけ、それを生涯の友とする。

 植物が好きになったり、野菜づくりを始める人もいれば、ログハウスづくりや陶芸、書道などに目ざめる人もいる。多くの犬を飼うことにした人もいた。
 ライフワークに対しては、いつでも自分がその主人公であり主役である。相手本位でないから裏切られることもない。かけた情熱だけの見返りが得られる。もちろん成果がなかなか出ないことも多いが、自分の意志でやりつづけていること自体に大きな意味があるのだ。

 だからといって何も、何かをやらなくてはいけない、一生犬と過ごせという類のことを言うつもりはない。犬とのつきあい、犬の気持ちがわかることによって、今までの生き方よりも、一歩も二歩も現実に関わっていく人間に対して余裕がもてるようになるといいたいのだ。
 仕事はライフワークと対立するものではない。ライフワークのなかに、うまく仕事を組み込んでいくのが、うまい生き方といえよう。



1.「品のある人生を目指せ」

 日本人の人生観が変わりつつあるように思う。出世街道を登りつめて、天に舞い、華と散るのが理想とされたときもあったが、今は、半ば登ったところで、我身を振り返り、残された人生をいかに地に足をつけ歩んでいくのかを確かめている人が随分と多くなったように思う。

 ほんの少し前までは、会社人間は地位と収入を望み、それを得ていく過程によって、自分の存在を自他とも確認できたといえる。ところが、今や、このように会社から与えられる人生に不安を感じてきたのではないだろうか。

 なぜなら、自分の人生をよりよくしていくための会社、よくも悪くも運命共同体だった会社との一体感がもてなくなってきたからであろう。一言でいうなら、会社の一部であった自分、自分の一部であった会社という強固な意識が保てなくなり、会社が自分にとっての全くの他者となりつつあるからだ。他者である会社は必ずしも、自分の人生全てを委ねるに足るものでなくなってきたからである。

 高度成長期のように会社が伸びることで自分の人生もよくなると信じることが幻想となった今、誰もが自分の人生はこのままでよいのかと考え始めだしたのだ。しかも今までのように漠然と思いついては、引っ込めてしまうのではなく、明確に常に意識するようになったのが、大きな違いではなかろうか。

 「会社でがんばっている」
 「家族ともうまくやっている」
 「趣味も少しはあるし、健康だ」
 これで足れりとするには、私たちの生きる力は強すぎるのだろう。
 「もっと充実感がもてないだろうか」
 「まだまだ感動をしたい」
 「いつも新鮮な気持ちで生きていたい」

 前向きに生きようとするなら、こういう問いがでてくるのが普通である。
 生きてはきたし、生きていくことはできるだろう。しかし、要は生き方だということになってきた。どのように毎日を生きていくとよいのかということを自分なりに考え、実行していかなくては、よい生き方にたどりつき貫くことはできない。強い生き方、弱い生き方、優しい生き方、一所懸命な生き方、いろいろな生き方があるが、どれも部分的な感が否めない。

 年をとるということはたやすい。だまっていても時間が過ぎゆき、一年ごとにカウントしてくれる。しかし、うまく年をとること、年相応になっていくことは、難しいことなのだ。

 若いこと、少年らしいことが賞賛され、うらやましがられるのは、日本くらいだと聞く。人は年を重ねて魅力的になっていくことに喜びを見い出していくべきなのだ。そうであればこそ、人は未来に希望がもてるというものだ。他のものに頼る未来ではなく、自分自身の未来に乾杯できる。
 つまり、自分の年齢なりの顔をつくりあげていくのだといってもよい。そのために、日々の生活や仕事があると考えるべきだろう。

 私もときたま、素晴らしい顔をしたお年寄りに会って、ハッとすることがある。その品の高さ、神々しさに思わず脱帽しそうになって、ハッと気づく。
 なるほど、こういうよい顔になるために生きていくんだ、そのための人生をめざすとよいのだと考える。
 品のある人生をめざすことが、私たちに生きている実感、人生に新鮮な感動と喜びを与えるのだ。


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